HOME|灯明殿について

[写真]灯明殿について

灯明殿について

灯明殿でのひと時が、お客様の“特別な⽇”として
⼀⽣の思い出になりますように。

博多の由緒ある地に建つ新たな交流の場として、博多の街に末永く貢献できることを願い、
「博多の特別な日に。」をコンセプトに運営を続けて参ります。

宮前迎賓館 灯明殿の
在るところ

灯明殿の敷地は、かつて櫛田神社の
一部であったと推測されています。
江戸から明治にかけて、神護寺の境内として
櫛田神社との神仏習合の歴史が窺えます。
平清盛の時代には、日宋貿易の舞台となった
船着き場の風景が広がります。
近年、お隣の旧冷泉小学校跡地の発掘調査にて
石積護岸の遺構が発見されています。
さらに古墳時代へ辿れば、
この一帯は海辺の砂丘であり
竪穴式住居の集落が点在していたそうです。
「宮前迎賓館 灯明殿」はこのような
地域の歴史を尊重し建設中に地中から出土した
海砂を内装や壁などの下地素材として活用して
その記憶を大切に残しております。

灯明殿の特徴

[写真]意匠 1

意匠

灯明殿の建築は、デザインの成り立ちの大枠を、立地に由来しています。
敷地は櫛田神社の北神門(旧冷泉小学校側)のすぐ脇、歴史を紐解けば、江戸時代には神社の関連施設である神護寺(神宮寺)があった所です。
かつては実質的に境内地、つまりは神域であったことになります。
そのような場所に、人々が集う場(=建築)を設けるにあたり、神社、境内と風景として一体であることは必然でした。

まずは大枠のかたち。
密接する北神門の屋根のラインを灯明殿の屋根として受け継ぎ、リズムカルに連続させています。
そして、この神門にも刻印され、日本建築の屋根の妻飾り一般である「懸魚」が、レーザー加工によるステンレスを用いて、灯明殿にも転写されています。
魔除けや火除け、願いのかたちです。

[写真]意匠 2
懸魚

[写真]灯明 1

灯明

灯明殿は建物全体として、境内に灯を捧げる建築でもあります。
灯明=神仏に祈りを捧げる=そこから『灯明殿』という名前が自然に生まれました。

夕暮れになると、ガラス壁の内側に敷き詰められた障子戸から透過する光が、境内を灯します。
風景を占有する大きさでなく、むしろ、境内の点景として溶け込もうとしています。

[写真]灯明 2

[写真]紡ぐ 1

紡ぐ

灯明殿は未来に伝えたい地域の歴史文化を、これからのものづくり(=職人技術)として伝えていこうとしています。
大工、建具、左官、鉄工などの建築を作る基本的な技術に始まり、博多水引や、山笠、布の現代アート、他、博多~福岡~九州の所縁ある今に生きる作り手を通して、素材と技術がここに集結しています。

今日の建築産業による量産的な生産システムを用いつつ、人間による製作物(=アート)が象嵌(ぞうがん)されています。
未来を顧みつつ歴史を創造していくような、場所となり、地域となっていくような建築となれば、の願いが込められています。

[写真]紡ぐ 2

周辺地域の歴史と文化

[写真]周辺地域の歴史と文化

櫛田神社の周辺地域は商業の町博多と言われる中でも、ものづくり=職人の町でした。
旧箔屋町(現店屋町)は、小鍛冶屋や箔屋などの小金属系の職人町で、そこから博多鋏が生まれました。
旧赤間町や旧櫛田前町(現冷泉町)は指物師や宮大工の町、そこから木彫作家の山崎朝雲(1867-1954)さらに弟子の富永朝堂(1897-1987)が生まれました。
今日の私たちは、当時の職人町としての博多の暮らしや伝統技術、工芸を、神社参道の「博多町家ふるさと館」で回想することができます。

アート作品の紹介

[写真]結

ゆい

美しい桜の向こうに青く澄んだ青空。モチーフの「桜」は繁栄や豊かさを、「青空」は未来が広がっていることを象徴しています。「過去と未来」を「人と人」を繋ぐよう願いを込め素材を手縫いされています。

〈素材〉
披露宴で使用された白無垢・色打掛・ウェディングドレス・カクテルドレス
アーティスト
服部 夏子 Natuko Hattori
福岡県出身 ニューヨークを拠点に活動。
メトロポリタン美術館を始めNYでは多数出展。

»服部夏子 公式サイト

[写真]月慶樹

月慶樹 げっけいじゅ

月桂樹には邪気を払い栄誉・勝利を手にするという意味があります。「若水」という名称の宴席場に飾られており、若水を月桂樹で汲むシーンをインスパイアされて制作されています。

〈素材〉
ステンレス・水引
博多水引デザイナー
長澤 宏美 Hiromi Nagasawa
福岡市出身 ながさわ結納店2代目。
博多水引デザイナーとして世界で活躍中。

[写真]層位2023-航

層位2023-航 こう

鍛造した金属を舟形に積層することで、博多の歴史や文化を表現しています。腰掛けることで、現在から未来へ旅立つための装置に変わります。

〈素材〉
アルミニウム・ステンレス
彫刻家
中西 秀明 Hideaki Nakanishi
福岡市出身 東京、福岡を中心にアジアでも作品を発表。
今津運動公園他に屋外彫刻設置。

[写真]無題

無題

〈素材〉
ふすま紙・墨
芸術家
冨永 朝堂 Chodo Tominaga (1897年~1987年)
木彫刻の名匠。旧・櫛田前町(現在の冷泉町)生まれ。上京後、山崎朝雲に師事し日展で受賞を重ねた。その作風は、一木の真性を追求し精神性を表現すること。

会場紹介

[写真]清道 1

  • [写真]清道 2
  • [写真]清道 3

4階フロア

清道 せいどう

日本の伝統的な建築技術や素材を現代的に融合した新しい空間です。
障子戸や格子戸、漆喰仕上げの天井など、伝統的な要素が取り入れられていますが、様式にとらわれない自由な空間設計が特徴です。

天井は漆喰仕上げで松の葉の模様が施され、千本格子建具の障子戸と組み合わせて三重折り上げになっています。
壁と天井には有明海の貝殻を焼いた貝灰漆喰が用いられ、壁面には魔除けとして用いられる猪目文様が彫り込まれています。

南東側のガラス面には、障子紙を二重張りにした太鼓張りのフレームが設けられています。
これは断熱や遮熱の役割を果たし、冷暖房のエネルギー効率を高めます。
また、部分的な開閉が可能なため、屋外風景の切り取り方を楽しむことができます。
日中は障子越しの柔らかい光が部屋を照らし、夜には建物全体が街や櫛田神社に捧ぐ灯明となることを期待しています。

[写真]銀杏 1

  • [写真]銀杏 2
  • [写真]銀杏 3

3階フロア

銀杏 ぎなん

障子戸を開けると、正面に櫛田の銀杏(ぎなん)、左脇には北神門、と神社ならではの風景を感じられるのがこの会場の特徴です。

床から天井までの障子戸は、他のどの場所にもない特別な空間を創り出しており、自然光を穏やかに内部に取り込みます。また、障子戸の開閉により、境内の風景を選択的に取り込むことが可能です。

天井は伝統的な格天井の様式に鉄骨の梁を組み込むことで、豊かな木材感を活かした空間が形成されています。
壁面には銀杏の黄色を表現するため、藁を用いた漆喰が使用され、自然の色調を表現しています。
また、レーザー加工で切り抜かれたしだれ銀杏の図柄を施した真鍮板は、伝統的な装飾とは異なる新たな表現をもたらし、高砂席の背面を彩っています。

周囲の歴史的要素と自然の要素を積極的に取り込んでおり、その結果、この場所特有の魅力的な空間が形成されています。

[写真]入り舟 1

  • [写真]入り舟 2
  • [写真]入り舟 3

3階フロア

入り舟 いりふね

「入り舟」と名付けられた窓のない会場は、窓のない空間が博多湾の静かな一角、冷泉津を想起させます。
この地がかつて中世の日宋貿易の船着場であったことを考えると、その静寂な風景が目に浮かびます。
この部屋はその歴史と風景を大工と左官の技術を活かして精巧に再現しています。

まず目に留まるのが、正面の木彫壁画です。
これは特殊な突きノミを使って独特の削り痕を残す、名栗加工という大工の伝統技術を用いて、水面に揺れるさざ波を表現しています。

壁と天井はこの土地で出土した古墳時代前期(約1600~1700年前)の浜砂を混ぜた貝灰漆喰で覆われ、伝統工芸の小筥(こばこ)の蓋のような丸みを帯びた形状をしています。
漆喰の仕上げには、コテ跡の絶妙な差異があり、それがゆるやかに連続していく様子が見られます。その結果、訪問者は優しく包み込まれるような空間に浸ることができ、その歴史と風景の一部となることができます。

[写真]若水 1

  • [写真]若水 2
  • [写真]若水 3

3階フロア

若水 わかみず

「若水」と名付けられたこの会場は、壁と天井が全面的にステンレスの板で覆われています。
木の桟が障子の桟に連続して配置され、透き通った水のような雰囲気を演出しています。
ステンレスの表面処理により、人や周囲の風景が水面のようにぼんやりと映り込むように調整されています。

また、壁は古墳時代の地層から掘り出した砂を使って作られており、その固める素材には希少なわらび粉が使用されています。
伝統的な技法を用いたこの壁は、現代の樹脂に比べて長持ちする特徴を持っています。さらに、博多の伝統工芸である水引アートも壁に取り入れられています。

照明器具は、伝統的な梅鉢紋をモチーフにした形状であり、下から見上げると浮かび上がるようなデザインです。
この照明器具は鉄や真鍮、木、樹脂紙など複数の素材を組み合わせて作られており、一人の鉄の彫刻家による手作りです。
精度の高いパーツが組み合わさり、様々な大きさと素材が空間にリズムを生み出しています。

灯明殿で最小のホールですが、楽しみが尽きない空間を目指して作られています。

Page Top